私が建築家を意識したタイミングというのは、そこまで明確ではないんです。最初のきっかけは、自宅の改修に来てくれていた大工さんを見て面白いと思ったことですかね。後は、高校の時にオシャレな飲食店でバイトをしていて、設計に関わると、こういった建物を作ることに関わることができるんだと漠然と考えていました。でも、その時は、建築家という仕事をそこまで分かっていなかったです。
私は岐阜の北方町の出身なのですが、地元の友達4人と、高校を卒業したら東京に行こうと話をしていました。東京の荻窪のアパートで、男5人の共同生活をしました。皆クリエイティブな人達で、映像を作ったり、ダンスチームを作ったり。建築を志していたのは私だけで、他はそれぞれ、グラフィックデザイナー、インテリアデザイナー、ファッション、音楽と、それぞれの目指すものがありました。その頃の東京での生活は、刺激的でした。5人暮らしの部屋にしては広かったので、友達が友達を連れてくるような感じで、週末になると、30人ぐらいが部屋に集まっていました。その中で会話が始まるんですが、建築だけではなく、ファッション、グラフィック、将来の夢の話など、様々な方向に話題が広がっていきました。多分、東京でのこの頃の経験が、自分の中では第一の原点といえると思います。本当にデザインというものが好きなんですよね。芸術とか美術とか、その他いろいろと。彼らとは今でもよく話をするのですが、刺激を受けますね。日々自分のやっていることが、頭の中で整理されてきます。業界によって仕事の仕方は違いますが、それでも、自分の日々の積み重ねのプロセスの中でこういう風にしたらいいのかというアイデアを得ることは多いです。
私は、東京の建築専門学校で建築を学びました。その後、建築家として働く所を探しました。特に東京にこだわりがあるわけではなく、地方でも良い事務所があればと思って、雑誌などを調べて探しては、修行をしていました。中には、あまりにも人気過ぎて、アルバイトをさせてもらうにも順番待ちの事務所などもありました。西日本を中心に、面白そうな事務所を転々として修業しました。こういう面白い人がいるよと聞いては、そこを訪ねてみるといった感じで。このような修行を3年ぐらいは続けましたね。実際にできた物件を見て回ったりもしました。雑誌等で見るのと、実際に建物を直に見るのとでは印象が全然違いますからね。それぞれの人の考えがあって建物を作っているわけで、そのような経験を通じて自分の幅は大きく広がったと思います。
23歳の時に、東京にある安井秀夫アトリエにお世話になりました。安井先生は、私が当時色々とお会いした建築家の方の中で、一番興味がありました。安井先生は当時自身の出身である愛知県蒲郡市内に分室を作ろうとされていて、私は入ってすぐに蒲郡事務所を任されました。そこで、頻繁に蒲郡と東京の事務所を行き来して仕事をするという生活をしていました。安井秀夫アトリエには6年程お世話になりましたが、この6年が私の第二の原点になっています。安井先生は、非常に厳しい方でした。妥協に対して特に厳しく指導されました。ここで妥協しない姿勢が培われたと思います。建築をやっていると色々な問題が生じますが、その問題に対して物怖じせずに向き合えるようになりました。肝が据わったと思います。安井秀夫アトリエにいる間に、3ヵ月程ニューヨークに行くことがありました。海外の建築家とコラボしてコンペに出すプロジェクトで、2つのコンペで担当にしてもらいました。この安井秀夫アトリエにいた時期は、自分にとって吸収しなければならない時期だと考えていました。怒られたりして日々大変なことも、プラスに考えながら仕事をしてきました。
29歳の時に、独立することにしました。中学生の時に、30歳で独立するにはどうすべきかという本を読んで、それ以来、30歳を区切りに独立しようと考えていたんです。自分が独立し頑張っていくことが、今までお世話になってきた方への恩返しだと思いました。安井先生からは、「最後まであがけ」という言葉を頂き、送り出して頂きました。6年間の安井秀夫アトリエでの経験を経て、一番自分の興味があった仕事が住宅でした。そこに住む人と関わりを持ちながら住まいを作っていくという過程に魅せられていました。住宅をどこで設計していきたいかと考えた時に、今まで仕事をしてきた東京は候補に挙がりませんでした。東京での家造りは、狭い土地の中でいかに工夫するかが問われることが多いのですが、そこに違和感を覚えたのかもしれません。それと、生まれ育ってきた岐阜という地域の住環境に興味が湧いていました。いかに光や風を取り込みかストイックなまでに工夫したり、「1畳程度の庭ならできます」と言ってお客さんに喜ばれたりすることに、違和感を覚えるようになりました。そこまでストイックな設計だけに特化していくつもりはありませんでした。しかし、とても勉強になりましたので、その考え方も取り入れて岐阜で住宅を作っていきたい。岐阜こそが、自分の設計がしっくりくる土地だと思いました。
岐阜に戻ってきて、岐阜らしい所に事務所を構えたいと思いました。東京の友人からも岐阜に遊びに行くよと言われていましたし、岐阜の良い所を見せたいという気持ちがありました。長良川と金華山に囲まれて、古い歴史を有する街、川原町を仕事場に選ぶことにしました。2回程事務所は移転しましたが、いずれも川原町近辺です。
岐阜で仕事を始めてまず困ったことは、そもそも、施工してくれる工務店さんを全然知らなかったことです。周りに相談できる人もいませんでしたし。それに、残念ながら、独立して間もない期間は、クライアントの高い要求にどうしたら応えることができるかを必死で考えてくれる工務店さんに出会う事が出来ませんでした。それはできない、それはやったことがないという言い訳が通ってしまう。しかし、それは、自分の考えをいかに伝えるか、いかに説得するかという能力が自分自身に不足していた事も原因であり、その力が重要だと思い知りました。
設計する前に、クライアント、家族の価値観、将来像、住まいに関しての考え方、その他様々な考え方を、よく感じ取ることですね。考えをよく聞いた上で、設計する家が、この家族にとってどういう位置づけなのかを考えます。5年、10年、15年、20年…とどのような住まい方を考えていくのかなど、まずは、そういった所からとっかかりを摑んでいます。これを頭に入れた上で、一つ一つ解決していきます。その家族にとって、重要なものは何だろうか、デザインで見るのか、機能で見るのか。私自身がこっちが好きだから、こっちでいくということで解決せずに、クライアントの価値観をしっかり把握しておくことは、いざ詳細な図面を描いたり、現場に入った後に非常に活きてきます。細かい所を判断する時に、価値観を理解できているとシンプルに決断できます。いったん、クライアントの考えや価値観を摑んだ後に、細かい設計に入りますが、そこからはクライアントの考え方を思い描きながらどんどん決めていきますね。
5年後、10年後、もしくは20年後にこれで良かったという家にしたい。住宅が人生と共に年月を重ねていくことは、分かり切ったことです。私は建築家として、そこを十分に見据えた家を建てたいと考えています。
色々な選択肢を持っておいた方が、いいと思いますね。自由設計、ハウスメーカー、建売など、どれがその人に合うか分かりません。何も、建築家と一つ一つ設計をしながら家を作ることだけが、正解だとは思いません。世の中にたくさんあるもの、つまり、標準的なものを正解と考える人もいると思います。何千万円もの買い物をするのだから、そのような判断をされることは十分に分かります。建築家と家を建てることにするとしても、多くの建築家と会って話を聞いてみることをお勧めします。「そういう話をすると、婉曲的に断っているように思われるよ。」って注意されたこともありますが(笑)。建築家も一つ一つの考え方が多少なりともそれぞれ違いますし、長い付き合いになりますので、最終的には自分の直観を信じて決めることが、良い住まいへの道であると思います。
お店は、長く、そこで成立しなければなりません。5年、10年で終わりではなく、その後も続いていくためにはどうしたらよいか。お客様が入らないと店は成立しません。マーケティングやブランドイメージも重要ですが、オーナーが毎日そこで仕事をしていくわけですから、お客さんを自信を持って迎えられるような、オーナー自身が気に入った空間で営業されるのが良いと思います。オーナーやスタッフの方が好きな空間で働くことは、お店のサービスを良くすることに繋がるのではないかと考えています。
また、お店には、オーナーの個性に人が集まるという側面があると思います。お店からお客さんに対してのメッセージのようなものが必要です。例えば、お客さんに、非日常的な空間で過ごしてもらいたいのか、家にいるような日常的な感じで過ごしてもらいたいのか、どちらが正解というわけではなく、どちらのメッセージを伝えたいのかということです。
多くの建築家は装飾的なものを軽視してきた感があるように思いますが、私はもっと感覚的なものを大事にして良いのではないかと考えています。お客さんが引き寄せられるような装飾的なデザインも取り入れていきたいと考えています。
今までどおり、一つ一つ向き合って、作っていきたいです。
建築やデザインを生み出すことだけで街が変わるとは思いません。あくまでも、人と人との関係であるとか、日々の活動を通して、人が集まることで街の魅力ができてくるのではないかと思います。人が集まる流れの中に、建築やデザインが自然と溶け込んでいけるといいなと思います。
学生時代には未経験であった、サッカーとフットサルに、はまっています。週1、2回のペースでしています。元々体育会系なので、体を動かすことが好きです。ハーフマラソンにも、よく参加しています。
お寺の庫裡をご紹介します。そもそも、この物件は、クライアントとの出会い自体が印象的なものでした。そのクライアントが家を建てようとして、住宅展示場に車で向かう途中で気になった住宅を見つけ、誰の設計かを調べたら私の設計だったのでご連絡頂いたのです。私は、お寺の庫裏は初めてでしたので、少し心配でもあったのですが。とにかくお会いして、何度もじっくり話し合いました。お互いの感性がマッチしたのかもしれませんが、ポイントは出して頂いたものの、その他多くは私の提案を受け入れて頂き、設計が進み竣工しました。それから7年後に子供部屋とセパレートした水廻りの増築も設計させて頂きましたが、クライアントの住宅に対しての考え方を長い年月をかけて理解できていたので、より良い設計になったのではないかと思っています。やはり、長い年月をかけて、意思疎通が自然とできることが大切なのだと思います。
© Nacása & Partners Inc.
1969 | 岐阜県生まれ | born,Gifu |
1990 | 青山製図専門学校建築設計科 卒業 | Graduated from Aoyama Technical College, Tokyo |
1993-1998 | 株式会社安井秀夫アトリエ | Worked for Hideo Yasui Atelier, Tokyo |
1999 | sMile sTudio設立 | Started own studio, sMile sTudio, Gifu |
2005 | 有限会社スマイルスタジオとして、法人化 | sMile sTudio co.,ltd. |
2008- | 名古屋芸術大学デザイン学部、非常勤講師 | Nagoya University of Arts, a part-time lecturer |
2000 | JCDデザイン賞 入選 / キタヤ七郷店 | JCD Design award 2000, Be accepted / Kitaya-nanasato |
2001 | 岐阜市都市景観賞 建築奨励賞 / Saw邸 | Architecture award of Gifu-city 2001, Encouragement prize / House Saw |
2001 | JCDデザイン賞 奨励賞 / 紙の蔵 | JCD Design award 2001, Encouragement prize / Kami no Kura |
2001 | JCDデザイン賞 奨励賞 / イチローラーメン | JCD Design award 2001, Encouragement prize / Ichiro-ramen |
2002 | JCDデザイン賞 入選 / クライネスカフェ | JCD Design award 2000, Be accepted / kieines-cafe |
2002 | パブリックコンテスト賞 優秀賞 / クライネスカフェ | Public Design award 2002, / kleines-cafe |
2003 | JCDデザイン賞 奨励賞 / とんかつ田なか屋 | JCD Design award 2003, Encouragement prize / tonkatsu-TANAKAYA |
2004 | JCDデザイン賞 奨励賞 / 複合商業施設 myth | JCD Design award 2004, Encouragement prize / complex-myth |
2005 | 岐阜市都市景観賞 建築奨励賞 / たなはし動物病院 | Architecture award of Gifu-city 2005, Encouragement prize / Tanahashi Animal Hospital |
2009 | JCDデザイン賞 入選 / minx. | JCD Design award 2000, Be accepted / minx. |
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